『プルーストの記憶、セザンヌの眼』

プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たち

プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たち

Proust Was a Neuroscientist

Proust Was a Neuroscientist

2007年は人文・社会科学の「神経美学的転回」にとって大きな節目の一つとなった年だったのかもしれない。一方でバーバラ・スタフォードの新刊『エコー・オブジェクツ』(Echo Objects)が出版され、イメージ研究の大家がついに神経の領域へと本腰を入れ始めたことが注目を浴びた。他方では、サイエンス系のライターであるジョナ・レーラーが『プルースト神経科学者だった』(Proust was a Neuroscientist)を上梓し、同書はたちまちベストセラー入りを果たしている。前者が視覚文化研究の最先端の成果を示す学術書だとすれば、後者は「神経科学で学ぶモダニズム芸術」とでも言うべきポピュラーサイエンス的な要素を含んだ一般向けの「読み物」である。

これら二つの著書は対象とする読者は異なるものの、同じ方向を向いている一つの流れを体現していると言うべきだろう。それは一つには、かつて「学際/インターディシプリナリー」としてもてはやされた学術的な異分野連携の成果。もう一つとしては、脳神経科学の圧倒的な影響力が既存の認知モデルや意識モデルを大幅にアップデートした結果、旧来の「芸術家」や「イメージ」の概念そのものが「地殻/知覚変動」とでも言うべきパラダイム・チェンジに曝されていることだ。

そして2010年、レーラーの『プルースト神経科学者だった』が『プルーストの記憶、セザンヌの眼』として邦訳された。扱われている雑多なトピックを拾ってみると、「ウォルト・ホイットマン×感情&身体性」、「ジョージ・エリオット×生物学&進化論」、「オーギュスト・エスコフィエ×味覚」、「マルセル・プルースト×記憶」、「ポール・セザンヌ×視覚」、「イーゴリ・ストラヴィンスキー×聴覚」、「ガートルード・スタイン×言語」、「ヴァージニア・ウルフ×意識」――このとおり、19〜20世紀初頭に活躍した芸術家の作品に神経科学的な知見の先取りを認める大胆な仮説が提起されている。

例えば、本のタイトルにも冠されているプルーストの章では、『失われた時を求めて』冒頭の有名なマドレーヌの場面が「嗅覚および味覚と記憶の解剖学的構造」の発見を予見したものであるとされ、また小説におけるプルーストの時間操作に「記憶の再固定」の発見が予見されていると指摘される。プルーストが脳神経の機能について「知っていた」という実証性があるわけでは決してないが、脳神経科学の知見によって芸術が別種の領域へと開かれる可能性に筆者は賭けている。それがどこまで成功しているのかは判断を保留せざるを得ないものの、少なくともポピュラーサイエンスの「読み物」としては及第点に値する内容だろう。