「科学革命」という二つ孔――『量子の社会哲学』
![量子の社会哲学 革命は過去を救うと猫が言う 量子の社会哲学 革命は過去を救うと猫が言う](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41Kpy4JsCNL._SL160_.jpg)
- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/10/08
- メディア: 単行本
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大澤真幸氏の新刊『量子の社会哲学』は、「アインシュタインによる相対性理論の定式化から量子力学の成立へと至る」20世紀初頭の言説空間の変革に「第二の科学革命」の展開を見るものである。筆者は二つの科学革命に象徴される「知のステータスの転換」を、「超越的な他者」「否定神学」「第三者の審級」など大澤の著作に親しんでいる読者にとってはお馴染みの概念を用いながら多角的に検討していく。その結果、(様々な論理的跳躍は端折ると)ピカソらによるキュビズムは美術における量子力学の相関物とみなされ、シュミットの「例外状態」が量子力学的な波動の対応物であるとされ、フロイトの「モーセと一神教」にも量子力学と同じ精神が見出され、ベンヤミンの「神的暴力」や「歴史」認識の時間性に量子力学との類似が認められ、レーニンにとっての党や「プロレタリア独裁」が量子力学を媒介にして分析され、粒子/波動の二重性とマクタガードの時間論との共通点が暴かれる。特に実証的な史料の提示もないまま、同時代に起こったいくつかの現象から相同性や類似性を抽出する筆者の手並みは曲芸的な刺激に溢れている。
本書を読んでいると、量子力学というモデル(フィクション?)の万能感に率直な驚きすら覚えるが、それも理由のないことではないだろう。量子力学の観測者は、スラヴォイ・ジジェクや大澤が得意とする「気づいていないという事実に気づいている主体」、または「自分が騙されていることに気づいていない者を眺める主体」といった全知と無知の諸関係を定式化するための極めて示唆的な位置を占めている*1。また、量子力学と、その代表的な実験モデル「二つ孔の実験」(いわゆる二重スリット実験)が教える偶有的な世界観や時間概念は「不確定性」や「不可能性」をテーゼとする思考の枠組みと親和性が高い。何より量子力学の「観測者」という概念自体が視覚の優位に依拠しつつもその不可能性を暴露しているため、映画などの映像表現を用いた分析への応用可能性は計り知れない*2。
第三部以降はほぼ同じ枠組みを使った同時代的な分析が中心になるため、個人的には第一部「科学革命以前」と第二部「最初の科学革命」に啓発される箇所が多かったように思う。副題の「革命は過去を救うと猫が言う」が示唆しているように、著者は二つ目の「科学革命」をセットすることで、一つ目の「科学革命」(=過去)の認識すらも変えてしまう可能性を残している。その時、遠近法や風景画、あるいは光学や「聖俗革命」といった(初期)近代におけるいくつかの重要な要素が、未来からの眼差しによってその姿を変えていく。これは「量子的な科学史」が実現させた別種の「二つ孔(=革命)の実験」とでも呼ばれるべき試みだろう。
ちなみに本書の「量子的な」相関物としてマーティン・ジェイのDowncast Eyes(未邦訳)が挙げられるかもしれない。ジェイの書に「量子力学」の言葉は一箇所しか登場しないが、かつて「五感の中心」とみなされた特権的な感覚である「視覚」が凋落していく軌跡をたどった本書の記述は『量子の社会哲学』と並行して読むことができるものだ。
![Downcast Eyes: The Denigration of Vision in Twentieth-Century French Thought (Centennial Book) Downcast Eyes: The Denigration of Vision in Twentieth-Century French Thought (Centennial Book)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41BHOQApKJL._SL160_.jpg)
Downcast Eyes: The Denigration of Vision in Twentieth-Century French Thought (Centennial Book)
- 作者: Martin Jay
- 出版社/メーカー: Univ of California Pr
- 発売日: 1994/09/01
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