眼の教育と他者の眼差し

The Education of the Eye: Painting, Landscape, and Architecture in Eighteenth-Century Britain

The Education of the Eye: Painting, Landscape, and Architecture in Eighteenth-Century Britain

この本は手強い。著者はジョン・バレルとノーマン・ブライソンの弟子だと言うから、なおさら手強いことは自明ですらある。
端的にまとめると、1760年代英国の公共圏において、「見られること/見ること」の意識化を背景に「視覚性の文化」(culture of visuality)が萌芽したという論旨。第一章が展覧会、第二章がヴォクソール・ガーデン、第三章が風景庭園、第四章がカントリーハウスといずれも「視」への参入が問題となる公の空間を扱っている。
「視覚性の文化」への参入に伴う、あるいはその前提とされる「目の教育」とは、「<絵>の制度」と「<視>の制度」の弁証法的な関係から導かれる第三の「センチメンタルな眼差し」(sentimental look)を備えた美的態度のこと。「<絵>の制度」とはレイノルズが主導するようなアカデミー的芸術観であり、芸術作品に関する知識偏重、それゆえに鑑賞する「眼差し」を要求、つまるところ権威主義的で排他的な視線。「<視>の制度」とはホガースの視覚論に代表される見る主体の美的態度であり、眼差しよりも一瞥(glance)寄り、対象との同一化、ひいては非権威主義的で万人向けな視線。1760年代では、「視覚性の文化」それ自体に参入しているという認識と芸術作品を鑑賞するという行為が同時に行われており、作品を見ることは、それすなわち作品を見る自分を見られているということでもあって、この「眼差し」の交差が「センチメンタルな眼差し」の必要条件となる。
図版が豊富なのは嬉しい限り。特にカントリーハウスの章は著者が撮影した写真とともに読者を館の内部へと案内しながら、二つの「視の制度」への参入の過程をたどっていくという気の利いた試みが成されている。

ノーマン・ブライソンがよく言及するラカンの「眼差し」の構図を、この本はあくまで1760年という「歴史」に置き換えているといった具合か。実は著者は、マーティン・ジェイ編の『ヴィジョン・イン・コンテクスト』(1993)に収められたヴォクソール・ガーデン論ではラカンの「眼差し」の図式を使っていたのだが、この単著ではあえてラカンを使わないという一貫した姿勢をとっているようでもある。しかし、逆にそのせいで論述が分かりにくくなっているという点が無きにしもあらずだが。