十八世紀小説の身体を読む

Reading the Body in the Eighteenth-Century Novel

Reading the Body in the Eighteenth-Century Novel

ILLで取り寄せ。主に「医学」「観相学」「感情学」(pathognomy)の三本立て+作品論。
第一章で英国十八世紀の「医」の領域を、ガレノス、ヒポクラテス以来の古典的体液説とハーヴェイ、デカルト以来の機械論的身体観が混交する場として設定。小説を「読む」という行為は、実は身体を「読む」という医学的な手続きと紙一重であることを指摘。第二章がそのままの流れで『トリストラム・シャンディ』論。

第三章が「観相学」で、キケロが紹介しているソクラテス観相学者の対話、アリストテレスのモロ『観相学』、デラ・ポルタの類書を経て、十八世紀にジェームズ・パーソンなる人物が王立協会で発表した『観相学解明』、そして最後は言わずと知れたラファーター。十八世紀キャラクター・データベースの出来上がりというわけだが、ミソジニー的である点を指摘するなど著者の得意とする分野にも触れている。

第四章は「表情」に焦点を合わせた「感情学」。ジョン・ブルワーのボディ・ランゲージからデカルトの『情念論』、果てにはダーウィンの表情研究へ至る流れの中で十八世紀の英国小説を位置づけるとなるとシャルル・ル・ブランなどの絵画論からのアプローチが有効とのこと。「表情」や「身振り」に関する情報が過剰になるのがちょうどこの時代。五章はこの流れで『クラリッサ』論。第六章が「ジェスチャー」、第七章がフランシス・バーニーの『カミラ』論で、終章がオースティンに軽く触れる。