シェイクスピアの祝祭

シェイクスピアの祝祭の時空 エリザベス朝の無礼講と迷信

シェイクスピアの祝祭の時空 エリザベス朝の無礼講と迷信

年末に大著の翻訳が相次いで出版されたが、これもその内の一つ。フランス語の原著が1988年出版なので、ちょうど20年後の日本語訳ということになる。

ノースロップ・フライの「緑の世界」やC.L.バーバーの「覚醒」や「浄化」が全く実証的ではないとは言えないが、今読んでもどことなく印象批評の気配がある。が、このラロックの研究の場合は本家アナール学派的な歴史観及びギアーツ以後の「分厚い記述」を継承しつつ、シェイクスピア劇に散見される祝祭の諸相を丁寧に抽出して実際の暦と重ね合わせるという地道な作業が根幹にあるため、まさに実証的な研究という名にふさわしいものとなっている。 一番勉強になったのは暦のところ。日本で暮らしているとなかなか移動祝祭日の感覚が掴めないし、シェイクスピア時代の暦や民衆の時間概念など想像だにできないところなので、本書四章はかなり参考になる。告解火曜日を起点にして一年の移動祝祭日が決まるところから、四旬節、復活祭、五月祭、聖霊降臨祭、聖体祝日などを経てクリスマスへというこの流れと各祝祭日の催しは今後何度も参照することになるだろう。

この四章とシェイクピア劇の祝祭と時間を論じた七章が対になっており、本書前半のデータの蓄積が後半のシェイクスピア批評に枠組みを提供するという形式になっている。しかし各祝祭日や暦の百科全書的な記述に終始するわけではなく、それぞれの祝祭が持つ生の声(宴や無礼講の瞬間でありつつも、時には暴動や虐殺を誘発したるもする)が膨大な資料の中から拾い上げられており、ラディカルな分析は避けるという著者の宣言が挑発的に聞こえる場面もしばしばある。